自律と他律

家庭保育から集団保育へ

指針・要領の改正

 平成30年の幼稚園教育要領、認定こども園要領、保育所指針の一斉改正で、教育と保育の一体化が明確に告示されてから6年以上が経過し、当時0歳児だった子どもは小学生になっています。現在の未成年者は、多くの子どもが0歳、1歳から保育所等で集団保育で育った世代であるということができると考えます。 

共働き家庭


現在、25歳から44歳の女性の就業率は8割(地域によっては7割から9割)を超え、子どもの数に対する保育所の利用率は9割以上程度、といずれも高い水準が継続しており、0歳から4歳ごろまで家庭保育のみで育つ子どもは、私が未就学児の子育てをしていた平成15年前までと比較し、圧倒的に割合が減少しています。
日本の社会状況の変化とともに、必然的にかつ確信的にスライドしてきたことが実感できるという印象を抱きます。

子育て支援政策



 更にこの間、エンジェルプランなど子育て支援制度がどんどん手厚くなり、子育ては親だけでするものではなく社会でするものという大きな変革がなされ、親の負担が分散されたことも、家庭保育から集団保育への移行を一気に推し進めた感があります。子育てや母親に関して言えば、今と昔はほぼ真逆の価値観に転換したといっても過言ではない変わりように目を見張るほどといったところです。
重圧も責任もあまりなく、子育てや教育にあまりお金がかからないことは、昔では夢にさえも思えなかったことです。
 更に、育児休業中の100%給与支給や復帰の確証など、子育てを有償労働とみなすようになりました。
これも、自身の育児時代の無償労働(奴隷労働)扱いと真逆への転換がなされています。


集団保育の生活と遊び



保育所指針・・保育の目標に生命の維持と情緒の安定・・生活
幼稚園教育要領・・幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基礎を培うものである・・遊び
とそれぞれ明記されています。

教育要領の「教育」という意味には、「遊び」という意味が込められていると考えることができ、これは意識領域ではなく、無意識領域であることを示唆しています。


厳密に言えば、人格と人間の内面は一致していないことがありますが、幼児期において一致していることは、最重要視点です。


自律と他律について

 
 近年、日本でも、ようやく自律と他律への注目度が上がり、教育者等による文献も見つけやすくなってきましたが、幼児期までの子どもの調査や研究はその困難さと正確性、倫理性などの観点から、進みにくいというのは世界共通項であると考えます。小さな子どもの「内面的なこと」というのは、調査の方法が少ないといえるでしょう。そのため、「ある程度以上秩序ある臨床」の持つ意味は重く、質的・量的に、調査・研究として一片を満たす部分があると考えています。

自律



 自律・・Autonomie
 内面的な世界の構築(Schafer 2019)・・・自律的な発達
 →覚醒(自分の能力を自覚し、自らの規範をもとに自分で考えて行動する)

 大切なことは、目に見える発達ではなく、内面の発達が不可欠であることです。
 以下に、理解しやすく簡易にまとめます。(幼児期までの姿であり大人社会への応用不可)

子どもの姿




 自律的な子どもの姿・・善悪の判断、集中力、思いやりの心、態度を使い分けない(試さない)、他者の話をよく聞く、自分の意見を心に持っている、利他の精神等

 他律的な子どもの姿・・大人の顔色を見る(ふるまいを変える)、大人(親や保育者)への依存心・甘えが強い、失敗を過度に恐れる、心に自分の意見を持たない(不安感)等


 改めて書いてみると、他律の姿は、AIそのものの姿としても代替が可能であることがわかります。


 
 現在の社会人世代において「昭和」と少し蔑む意味の中には、何故か他律的な教育時代という皮肉さが含まれているようです。しかしながら、平成中期ごろまでの幼児期の子育ては家庭保育が中心であり、個が確立する幼児期までを家庭で過ごす時間が長かったため、現在の子育て環境との安易な比較は無意味であると考えています。
 


自律性と無意識




 元々のその子の特性(性格など)によるものもあるとは思いますが、発達の土台形成・種まきは0歳から3歳ごろまでであり、言葉を理解・獲得してから外部からの働きかけによって備わり始めるものではないと考えています。大人による言葉による働きかけや教育は「他律」という前提です。


 同時に、人間の9割以上を占めるともいわれ始めている無意識、潜在的な力についてどのように考えるべきでしょうか。


 他の記事でも頻出している「モンテッソーリ教育」の人格教育の目指すところは、「自律的な人間像」であるとも言えます。
言葉の発達が早いことは人間の発達において極めて重要視されており、それは大前提ではあるものの、獲得前にするべきことがされてきていないという現状(参考記事:子どもの知性~)に警鐘を鳴らしてきました。


以下では、個別生活と集団生活とカテゴライズしてほんの一葉ですが考察しています。


 

0-2歳

家庭保育


 0-1歳児は食事・睡眠・排泄を中心に、ある程度の秩序をもって生活をすることが大切になります。
SNSやインターネットを使いこなす親世代の意識もまだ知識偏重(彼らが蔑む「昭和」的)であるように感じることが多々あります。それは、無意識ではなく意識の部分だけで生きていると捉えることができます。0-2歳ぐらいまでの子どもは、無意識の領域で生きていることが多く、意識はその中で一時的に様々な経過をたどり形成されていきます。例えばモンテッソーリ教育では、色々なおしごとを通して人間に必要な善の秩序感を内面に備えることが可能であり、自律と自由は発達の順序としても大切にしています。

集団保育


 生活することに着目して過ごしている場合は、そこから秩序感を獲得していくことが可能ですが、集団生活であるため、秩序感を育むことが困難であると考えられます。集団生活は「他律的」傾向で成立するものであり、自分は後回しになります。
0-2歳の保育は、話せないし覚えていない時期だからこそ重要な時期なのです。内面の育ちの基礎はこの時期のほんの些細なことの繰り返しで決定づけられているといっても過言ではないでしょう。最近は、2歳過ぎでその子の特性があらわれることも多くなっているように思います。





2-3歳

家庭保育


2歳ごろの反抗期といわれる時期に、自律性を意識することはその後に深く関連します。集団生活と違いわがままが通りやすい反面、大人のほうが圧倒的に強いことが明らかです。
いずれにしても、不適切な対応が続くとその後の育ちの方向性に悪く影響し続ける可能性が高まります。
 モンテッソーリ教育には、「逸脱」と「正常化」という概念があります。老人のように落ち着いているお子さんを割と見かけますが、それは正常化とは違いますし、泣くことが単に逸脱というわけではなく、溌剌としたエネルギーが不可欠な領域になります。これは6歳児まで同様です。

集団保育

ことばを獲得し始める2歳ごろの第一次反抗期と呼ばれる時期のかかわりは、自律性とよく関連します。集団保育の一番難しい点は、2歳児前後かもしれません。なぜならば、かかわり方はステレオタイプや画一的では済まされないからです。
難しいのでただ単に押さえつける方向に流れやすく保育士にとっては「鬼門」といえると思います。
ことばに関する感度も個人差が激しい時期であり、いずれにしても専門性が不可欠です。誰にでもできる恐怖心や懲罰的な安易な継続は百害あって一利なしでしょう。

3歳ごろ

家庭保育

 

 その子の特性があらわれやすい時期です。理解が進み色々とできるようになることが出てきたりしますが、できるからと言って興味本位で色々とさせるのは注意が必要です。

集団保育


 同様に特性があらわれやすい時期です。 それまでしていたことやできていたことを一切しなくなるということが割と起きます。
この時期に元気のなさや疲労、気になることがみられる場合は少し注意し、個別対応が必要な場合もあります。

4歳ごろ

家庭保育
特性



4歳ごろになると、子どもはそれまでと大きく変化することがよくあります。その子の特性が明確になり、自他の区別が明確になり、その子の世界観が見て取れるようになります。自律性の兆候もこのころに如実になります。秩序を受け入れたり従ったりする姿が見られる一方で、大人の干渉のない子どもの世界に覚醒しようとする態度が見られます。性別は問わず、「ことば」に対する覚醒の感度や質などの個性も考慮する必要はあります。
 行動と内面の一致を望む傾向が高まり、例えば、かつて「ピアノを始めるなら4歳から」と言われたこともあったくらい、高度な能力を個別に養うことに適している時期でもあります。
 

協同

 幼稚園などに入園し、徐々に様々な活動を通してみんなで一緒にすることの楽しさや協同・協働の深い喜びを感じることができるようになります。それまで家庭で、ややマイペースで過ごしていた子どもたちが、規則正しい生活を開始し、集団で毎日過ごすことによって、そこから新たな世界観を構築していくことが可能です。よい習慣(悪い習慣)も表出することが多く見受けられます。ことばの使い方や解釈に気を遣う子どもも顕著になります。

集団保育
他律と依存


 比較的情緒が安定し、集団生活になじむ傾向が高まります。他律的な側面が全体的に強めかなと感じます。
保育所などで育つと、自立がはやいと考えられがちですが、内面的には遅い傾向です。この時期の自立と、悟りや諦めを混同するべきではありません。

ことばと人間関係

 言葉の獲得には、生活の場の文化が大きく作用します。
 集団生活が長い場合は、集団内で同じ周波・符号で話をする様子が見受けられます。
 大人に依存している子どもが、マイペースな子どもを排除しようとすることがあります。これは、自己の内面から乖離することの結果と捉えます。
 大人の専門的な介入によって軌道修正をすることができる時期でもあります。

 

5-6歳ごろ

家庭保育



 一人一人の特性が更にはっきりとし、興味関心の対象にも個別性が見られます。
他者と自己の区別において覚醒し、好きなことや少し苦手なことも自覚します。
自分の世界観を藝術で表現できるようになります。また、これまでに培われてきた好奇心や探求心が高まる傾向があります。
 

想像力

 最近の人類のトピックの一つであるスピリチュアル性も、このころに有無が確認できます。

スピリチュアルに関わる脳内における発達は、子どもの能力の神秘性(無意識・潜在)と深く関連しています。
 いわゆる「ごっこ遊び」をして自己の内面にある世界観を表現することはよく見られる傾向ですが、アート活動においても、特性が分かりやすく発揮されます。
 

目に見えないもの

 ピアノ演奏では、自己の内面の世界観を表現することも可能になってきます。(運動訓練中心の場合はやや異なります)
音楽教育の素晴らしい成果は、内面の世界を、物質ではなく、目に見えない音楽を通して表現していくこと。
この時期の音楽表現は、人生においてかけがえのない体験になるのではないかと常々考えています。
時間の流れを必須とする演奏や発表は「自律性の具現化」ということができると思います。
バレエやダンスなど、身体で表現をすることや、リトミックなど自律性を鍛えるのもまたとない経験であると考えてよいでしょう。

集団活動

 幼稚園などの集団生活においては、ことばによってのやりとりが進み、仲間を形成して遊ぶ、グループを作ってチームワーク(運動会など)活動の楽しさを知るなど、利他の精神を育みながら色々な活動を経験することができるようになり、文化的な学習や活動を吸収しやすくなります。 規範意識の有無がはっきりとします。

集団保育
集団生活


 一人一人の特性がはっきりすることは家庭保育同様ですが、長い間の集団「生活」において、強い自己主張が目立つ子どもと、和を乱すことを嫌がる子どもに分かれる傾向があります。
この時期になると明らかに、家庭保育児と8時間の集団保育児両者の生活における価値観は異なっているように思います。何か諍いが起きたとき、集団生活ではクラスみんなの問題になることがよくあります。そのことについて「どうしよう」とみんなで考えるというものです。

活動


 集団生活内でのカリキュラム消化は「みんな一緒がいい」価値観の教育になりやすく、やや未熟な仲間意識の形成につながりやすいと考えます。集団生活において、スピリチュアルな時間をカリキュラムに入れている場合は、子どもの自律性の発達が顕著になります。
適切な規範意識が備わっていることは人格の基礎となります。
 

想像力

 モンテッソーリのおしごとや活動は、内面の世界観を構成するスピリチュアルな活動に分類することができます。
 以前、ハーバード大学による臨床保育で、世界や動物とのつながりを感じられる活動映像を見たことがあり、生き生きとした子どもたちの姿に触れ、目に見えないものを想像し感じられる活動は、集団保育でも十分に可能であると思いました。
 異年齢保育の場合は、これまでお世話をしてもらった子どもが年長児になり、毎日の生活において他者(子ども)のために考え行動するなど、利他の精神が自然に育まれやすく、過剰な競争心が調整されて平和な心で生活することができるようになることが多いようです。
 






ひとことメモ


 

 科学が進歩し(すぎ)た現代において、なんとなく泥臭い「自律」よりも「誰(みたい)になりたいか」そして親みたいになれるかという価値基準=「他律」が高まる傾向を否めません。
 しかし、子どもの最善利益や肯定感という視点で考えてみるとき、他者のポートフォリオやドグマに生きることよりも、自律(Schafer 2019・Autonomie)が最新の「人間の最善」ではないか?という自己の価値観も踏まえての考察記事となりました。

他律的子育ての促進や、モラトリアム早期完了者しか生きる資格がないというような風潮は、AI育成と変わりません。

 誰みたいにならなくても,,,生きてよく生まれてよいという肯定感は、本来外から教え込まれるものではなく、人間の内面から生じるもの。



家庭保育でも集団保育でも、幼児期に「目に見えないもの(内面)を大切にしたり感じたりする力」を無視しないことは、実はとても大切なのかもしれません。


*参考文献・・カトリック系保育所・幼稚園等における保育・教育理念の特色ドイツ幼児教育における子どもの「自律・自立」に関する教育的戦略の検討等他